1月25日

 容量の関係か「歌集との出会い(続続)」欄がまったく書けなくなってしまった。

  さて、どうするか思案中である。  

 

   1月17日  DVDアニメ 

 

劇場版「イヴの時間」を見る。

 

WEB版はすでにヤフーで見ていたのだが、一回ずつについては何回もに分けて放映していたWEB版のほうが分かりやすかったが、とうぜん全体については一挙に見たほうが分かりやすかった。もっとも、最後の字幕が終わったあとの劇場版独自の場面は、重要なシーンだとは思うのだが、分からなかった。

 

アンドロイドが人間化した近未来の都会生活を描いているのに、なんだか昭和30年代ぐらいの都会生活を見ているような感じもあった。主要な場面である喫茶店がそんな雰囲気であった。いや、もしかしたら大正時代ぐらいの日本かもしれない。

 

昭和30年代と言えば、最近見た「虹色ほたる~永遠の夏休み~」は昭和30年ごろの農村生活を見ているような気がした。ただし、「イヴの時間」の方がリアリティを感じたが、これは絵にもよるだろう。背景はともかく、人物はこの「イヴの時間」の方がリアルに描かれていたからかもしれない。 

 

  1月16日  雪

 

きのう朝、起きたら外は雪だった。

小さめの牡丹雪で、少ない、つまり薄いまばらな密度で、晴れがち時々曇りの天気の中を、村時雨のように降ったり止んだりしていた。

ああ、これが細雪だなと思った。

 

何年か前に六甲山でダイヤモンドダストのように小さな粉雪が降るのを見て、これが細雪かと思ったことがある。しかし、神戸の表六甲の麓の町では雪が降っても大きめのぼたっとした感じの牡丹雪で、粉雪は少なくとも昼間は見ないように思う。

昭和初期はもっと冬が寒かったようだから、あるいは粉雪が降っていたのかも知れないが、細雪の意味は辞書で見ても、何を言っているのか分からないような書き方をしている。すくなくとも「細雪」という小説の名にふさわしいのは、空の奥からしんしんと降る粉雪ではなく、また神戸で雪の降るときによく見かける、大ぶり大きめの牡丹雪でもなく、きのうのような気まぐれな小雪だろう、と思ったのであった。

 

で、昼前に六甲山へ行った。

行ったと言えば大阪のどこかの駅へでも行ったような感じだが、特にケーブルカーの運転手が女性の場合はそんな感じがする。このごろは、女性の運転手を見るときが少ないのであるが、以前……。話がどんどん横へそれてしまうので、元へ戻す。

雪の日の六甲山にあがったのは、記憶にはっきりしているのでは5回だった。いずれもはっきりした場面の記憶があって、特に一度は正月に気まぐれに山へ上がったら、雪がそうとう積もっていて、道を歩けない。しかたがないからケーブルカーの駅の出口から引き返したことがあった。

あとは、雪の高山植物園に行ったときと、映画音楽が流れるレストランへ行ったときと、オルゴール館の客のいないレストランで何かを食べたとき。どれも記憶が夢のように妖しく怪しくなってしまっている。

ダイヤモンドダストのときはたった一度だけ立ち寄った特に古くからのあったらしい食堂で、その店の名前付きの短歌を作って、歌集にも収めたからはっきりしている。たしか、帰りに雪の中で立ち小便をした、などという、短歌にもできないしょうむないことまで覚えていた。

また、話が横へ流れた。

 

今回は、ケーブルカーをおりたら寒い。風が強くてしばしば吹雪く。

普段のコート姿ではさすがに寒く、寒すぎると、昔、手術をした首が痛むのを知った。

駅の上にあるレストランで昼飯を食べて、ホットワインを飲んで、バスで山の上の道を有馬行のロープウェイの駅まで一往復しただけで帰って来た。ケーブル往復付きバス往復付きの切符を買っていたので、バスからは一度も下りなかった。

バスはスキー場へ行く子供連れの客がいたりして、積み残しの客が何人かできたりして、けっこう混んでいた。

六甲山へは10年ほど前によく行ったことがあるが、それは話が長くなるので、また暇で困ったときにでも書くことにする。

このように下書きなしのぶっつけ本番で書くと、だらだらしてしまう。

 

 

 

 1月15日  (雪の中に撫子の咲く寒さかな)

 

 ――どうも季語が三つもあるようだ。たいていは七七を続ければごまかせるが、これはどうしようもない。

 

 外は雪が降っているが朝日がさしていて、どうやら晴れているようだ。雨だと、狐の嫁入り、そばえ、日照り雨などという言葉があるが、「日照り雪」は無い……たぶん?雪国だとあるかもしれないけれども。

 

 今日は寒いが、まだ氷は張っていないようだ?天気予報からすると、夜明けにはマイナス一度くらいにはなっていたと思うが。ここ神戸にも春までに、もう一度くらいは寒波が来るであろう。

 

 私の短歌は「季節」だと、ずばり指摘してくださった歌人がいた。その通りで、わが歌集の基礎にあるのは季節の嘱目詠である。

 

 虚構詠だとばかり思っている人がいるようで、それによって妬まれたり嫌われたりするようだが、虚構の方はいつまでたっても何が出てくるか作者にも分からぬ習作時代である。虚構といってもこれは天の啓示によって現れるものであるから予測がつかない。

 

 作るものにとっては、何が出てくるか本人にもわからぬ方が面白いと思うが、私の一般的な作品は「季節」だなあと思う。

 

 季節は虚構と違って、何が現れるかまったく分からぬということはない。題材の予測がつかないということはあるが、予測のつかなさのレベルが違っている。

 

 また、ふつうの生活詠などは、姿見に自分自身を写しているようで、うれしくもないことだと思うがどうであろう。それこそ、うれしいことか!?

 

 しかし、自分のことを自分に習う生活詠ほどではないにしろ、松のことを松に習う季節詠も、すでにあるものを写す作業であるから、退屈と思えば退屈である。

 

なかったはずのものを念力によって浮かび上がらせ、写し出す虚構詠に比べれば。

 

 

 

1月9日 方言と文体

文章は日本共通語、つまり東京弁を基礎とすることばで書くのが普通だろうけれど、これに書き手の方言が影響することがある。

関西人は「……けど」といって語尾を濁す言い方をすることがある。

「思いますけどって、思うのか、思わねぇのか、はっきりしてくれぃ、こちとら江戸っ子でぇ」と言われそうなはぎれの悪さだが、考えときますと言いながら、実はきっぱり断っていることがあるように、思いますけどと言いながら、実ははっきり、こうだ、てこでも動かないぞ、と言っていることもあるのである。「……けど」で曖昧にして相手に意見をゆだねているようで、断言している、……かもしれん。東京では歯切れの良さを好むから、一般的にこうした、言いさして終るような言い方は気持ちの悪いものであろう。公的な場所では誤解をまねきかねない。

昔、英語の勉強をしていたら、「No」を使わないでノーと言う方法なんて書いたのがあった。それによると、文化が進むほど、婉曲な表現方法が発達するのだと。

だとしたら、関西人の煮え切らぬ語尾も、文化の発展の結果と思うんやし。(「……し」は、京都か)。そうすると、京都、大阪、神戸のうち、「ぶぶ漬けでもおあがりやすか」と言って客を帰らせる京都がいちばん文化が洗練されていて、「さよでっか、ほないただきま」と言って上がり込みかねない神戸が、いちばん洗練されていないということとなりかねないが、まあさよでっしゃろな。

関西人からすると、歯切れのよい言い方とは、つまりぶっきらぼうで、匂いも香りもない、がさつで、えらいきつい言い方と言えるかもしれない。そうははっきり、よう言いよりまへんけど。

関西式文体が、散文や短歌にも影響する、いや、私の場合は意図的に影響させていることがある。

 

話はとぶが、短歌に「……おり」を使うことなども、関西人にはあまり抵抗はないと思うが、関東人には少々、抵抗があるのではなかろうかと思うのだが。これは「けど」とは別の事情があるので、今は書かないけれども。

 

また、話はとぶが、ケータイメールが盛んだった頃、方言が若者のメールに意識的に使われていることを研究した論文があった。スマホ時代になってその流れはどうなったであろう。

もしスマホ・メールがパソコンのE・メールに近いものだったら、残念ながら、方言の文章への取り込みはすたれているかもしれない。

むかし、携帯電話が盛んになったころ、どこかで補助金をもらって、若者のケータイ電話の表現を調べている研究者グループがあって、その資料のためのアンケートがまわってきたことがあったが、たぶん結果がでたころには、ケータイが普及しすぎて一般電話を凌駕してしまっていて、研究の価値があまりなくなっていたかもしれない。

情報機器の近未来化のスピードは怖ろしいが、このような加速化現象は情報機器に限らないかもしれない。

 

10年もたてば3次元コピーが普及して、自分のコピーだらけの部屋で、ナルシスが憤死している、なんて事件が起こりかねない。

30年もたてばロボットがご主人で、人間はその奴隷か家畜になっているかも知れない。

人間にとっては暗い近未来だが、ロボットにとっては明るい近未来である。

 

 

1月6日 言葉の使い分け

きのう、「時」をあらわすときと、うっかり書いてしまったが、これを文法で言う「テンス」と考えると、ずれる。そもそも「時」をとらえるときのとらえかたが、英語と日本語とでは違っているかも知れないのである。

 

そんな大きなことではなく、卑近な例で言うことにする。

たとえば、雨が降りはじめたとき、たとえば私は「あっ、雨、降りよう(降りよる)」と思う。しばらくして、本降りになって気がついたなら「あっ、雨、降っとう(降っとる)」だといったことを書いたことがある。

 

だが同じ降りはじめでも、窓の外を見て気づいたときは、ひょっとしたら「雨、降っとう」かもしれんなあと、このごろ悩む。

悩むと言って自分の言葉ではないか、というが、自分がネイティブ方言人としてしゃべる、基本的な言葉ほど、奥が深くて思考によってはとらえがたい。

神戸人の私と、大阪人とでは違うし、世代によっても違う。

親の出身地によっても違うし、職業によっても違うであろう。

子供のころの私と、今の私では、同じ私でも、もちろん違う。

きのうの私と、今日の私では違うかもしれない。

家にいる私と三宮で歩いている私では違っているかも知れない。

 

大阪の若い女性と、神戸の若い女性の使う「おる」は、ずいぶんニュアンスが違うのではないかと思うのだが、当人たちはそんなことに気が付かなかったり、気がついてもお構いなしにしゃべる。

神戸では「言うとう(言うとる)」は男女を問わず使うニュートラルな言い方だが、大阪だと、ややぞんざいな言い方ではなかろうか。

大阪といっても、地域により、世代により違うのでややこしいが。

しかし、「ぞんざい」だとばかり考えていると、これが「ざっくばらん」になり、親愛の情をにじみ出す場合もあるであろうから、ややこしい。

そういう「情」に関することは、学問をもってしては、簡単には判断できない。

 

話がどんどん流れてしまったが、現代の大阪人と神戸人の言葉の違いを、使っている本人が考えてさえ捉えにくいのに、まして平安の生きた言葉を、使用している本人に成り変わって捉えることなど至難のわざであろう。

 

至難のわざではあるが、それを考えるのは面白い。

だが、言葉を言葉で考える面白さに捉えられてしまうと、今度は詩を作ることなど、そっちのけになってしまうであろう。

 

 

 

1月5日 口語短歌

 

『現代短歌手帖』の昭和47年の第2版 第8刷を読んでいて、次の箇所に目がとまった。

   実作者としては、必ず文語で作らねばならないとか、必ず口語で作らねばならないな

  どというふうに考えるべきではない。言葉というものは、詩作に先行して決定すべきも

  のではなく、詩作そのものの過程において生み出していくべきものである。そして、前

  述のごとく、口語といっても話し言葉そのままでないように、文語といっても、こんに

  ちの文語歌というのは、むしろ文語的発想の歌といった方が適切な程度の、文語を主と

  している歌である。

   一首のなかに文語と口語とを混用することも、美感を損しない限り許されるべきこと

  であって、すべて窮屈に考える必要はないのである。(30・31ページ)

この本は改定初版が昭和41年9月発行、改定第2版が昭和43年4月発行、旧版は昭和27年5月発行である。今はなき安田章生先生の書かれたこの部分は、旧版からあった文章かどうか分からないが、改定第2版からの文章だったとしても、先生は早い段階から短歌の口語使用を認めておられたことになるであろう。

改刷数の進み工合から考え、ずいぶん売れた本のようだから、それだけ影響力も強かったであろう。私の短歌の口語使用についても、記憶には残らなかったとはいえ、安田章生先生からの強い影響があったであろうと、今になって気がついたのである。

  最近の私は、仮名遣いを現代仮名遣いにしてからは、さらに口語化しようとする傾向が強くなったと自分で思うのだが、口語にするとやはりふさわしくないように思われることがあって、文語に戻すことも少なくない。たとえば「考ふるとき」は口語化して「考えるとき」とするが、「流るるとき」は文語のままにする場合がある。「あこがれるとき」は「あこがるるとき」か「あくがるるとき」のほうが響きがよい。他の部分を口語にするか、文語にするかによっても変ってくる。歌集になってから、しまったと思うこともある。そこは難しいところである。

現在は口語短歌も進み、いろいろの文体で書けるようになったと思うが、「時」をあらわす

とき、ものたりないことがある。これは、私の母語である関西方言の播州方言(神戸方言を含む)が東京語より少々複雑な表現をするからかもしれない。ふつう方言話者としては、気がつかないことではあるが、気が付かないで使い分けしているということもあるのである。

 

 

 

1月3日 お正月

 年賀状を1枚も書かないで年を越してしまったので、正月とは言え酒びたりの日々というわけにはいかない。

 正月と言っても、昔のように旗がたっているわけでもないし、ドンパン(爆竹)やカツケ玉(?)の音が聞こえてくるわけでもない。

年始にまわっている大人を見るわけでもなく、羽根つきや凧揚げやこま回しに子どもたちが表に出ているわけでもないので、ぶきみに静かな正月である。

 日本の町が異界化したかと思うところだが、だが年賀状は衰えたりとはいえ、まだ生きている。

 たぶん、お年玉も生きているであろう。

 満年齢で歳を数えるようになったので、正月になっても歳を取るわけではなくなったが、ともかくお目出度いのである。

 そのうち、ハローウインが、お年玉の日になるかも知れないなどと、未来日本の予言をするのであった。

 

 

12月29日 歌集評

 年末にもかかわらず、年賀状すらもまだ書かないで、短歌に耽っている。

 11月には「ヤママユ」に「心の原風景」(おの・こまち歌集『ラビッツ・ムーン』の評)が掲載され、12月刊行(1月号)の「短歌人」に「西橋ワールドの草迷宮」(西橋美保歌集『うはの空』の評)が掲載された。どちらも、書き残したことがあったなと思ったが、字数が制限されているので、いたしかたがない。このホームページの「歌集との出会い」は字数制限があるわけではないが、書き残したことがあることは、いずれも同じくである。

 結社誌を見れば、それぞれの結社の様子が知られて興味深い。

 

 

12月10日

 現代で『万葉集』を選んだら、歌謡曲の歌詞が大半を占めるだろう。

 俳句や詩にいいのがあって、短歌はそのあとに、川柳と並ぶぐらいの場所があれば足りるかもしれない。

 いつまでも時代遅れの生活綴方短歌ばかりがあふれていて、文学とはほど遠いジャンルになってしまった。

 

 歌謡曲の歌詞と言っても、文学性の高いのはほぼ、ニューフォーク以降だろうか。

 井上陽水、中島みゆき、松任谷由実、甲斐よしひろ等々、等々、シンガーソングライターにうまい人が多い。スガシカオ、一青窈、中村中などはニューフォークなのかJ・ポップなのか、たぶんその両方じゃないかと思う。この分野、奈良時代『万葉集』より天才が多いなと思う。むかし、中島みゆきの歌詞を集めた本を読んで、歌われていない歌詞にもいい作品があるように思った。

 

惜しいことに、詩と同様、歌詞にも著作権の壁があって、残念ながら、紙媒体による万葉集は、リアルタイムでは作れない。自分の死後百年たってから日の目を見るやりかたで、こっそり机の引出しにしまっておくのならいいけれど、はたして百年後にも日本語が使われているか知らん?

 

 

12月9日 忌野清志郎

 どういうわけか、不意に「僕のすきな先生」という、昔、好きな時期があった歌を思い出した。ずいぶん長く忘れていたので、なんで今ごろ思い出したのか分からない。

 インターネットで曲を聞くと、なんと忌野清志郎が歌っている。

 原発事故だか事件だかがあったときに、かつて反原発の歌を唄った歌手として、いちはやく取り上げられた人物である。

 歌はいいが、インターネットでみると、なんだか厚化粧の、あまり歌手らしくないおっさんであった。やがて忘れてしまっていた。 

 その彼が、「ちっとも先生らしくない」「たばこと絵の具のにおいのする」先生を唄っていたとは。

 あの歌詞、実はあこがれの彼自身を投影して心象化したものではなかろうか、などと思ったりしたが、それ以上は思うことがない。

 「チェルノブイリには行きたくない」と歌ったブルーハーツには、10年ぐらい前だろうか、インターネットをするようになって、一時期はまって、繰り返し見たことがあったが。

 これもそのときは、すでに、とっくに解散していて、季節外れであった。

 

 (インターネットは遠い時空をリアルに体験できるツールか?)

 

 

12月9日 トランプ大統領

 アメリカの次期大統領に、まさかと思ったトランプが選ばれて何日がたったのか。

 あの選挙はもう昔のことのように思えてくるから不思議だ

 

 なんだか、アメリカ国民が危険な賭けをしてしまったようだ。

 第一次世界大戦後のドイツのようなことにならなければいいが。

 

 民主主義が民主主義を壊す例は、

 東京都の石原慎太郎元知事、

 大阪府の橋下徹前知事の例で見てきたことだが、

 アメリカよ、お前もかというところか。 

 しかし、危険度の規模が違う。違いすぎる。

 

 

12月5日 講演会

 

きのう、京都で現代歌人集会の秋季大会があり、阿木津英の講演を聞いた。

「芭蕉以後のうた―玉城徹を考える」で、短歌関係の講演会では久しぶりの、あるいは初めてのいい講演だった。玉城徹の作品の本質をよく把握していた。

  阿木津英のきのうの講演はよかったと朝起きてまた満足している

 

12月4日 学会

きのうは、学会の日。毎年、12月の第一土曜と日曜にある。

ここの学会には大学院の博士課程のときから入っていたように思う。

思えば、長く続いた。

あと2年で、たぶん評議員の定年になるが、その後も出席したいと思っている。

歌人と学者の一人二役など出来ないもので、

どちらかというと、長くやっている学問世界の方が気が楽である。

ただし、この4年間ほどは、研究をやっていないので、

私を歌人だと思う人が増えたかもしれない。

実際の所は、研究者だと自分では思う。

 

短歌は情の世界で、足もとに何かねばつくものが絶えず絡みつく感じだ。

学問も人間関係がどこかで絡んでくる感じはある、日本の場合は。

しかし、私の場合は、学閥のない大学で育ったので、

最も人間関係が薄くて、それが私の場合はよかったように思う。

東大を出ていたら、つぶされていただろうと人に言われたことがあった。

もっとも、学閥のない大学だと、

仕事の上の実人生で、不便なこと、不利なこともある。

長所は短所、短所は長所……か。

 

 

 

12月3日 講演会

今日は一年ぶりに学会に出席する予定。

あすは、短歌関係の講演会に聞きに行く予定。

実は、あすは学会の研究発表会と重なる。

在職中は給料をもらう身であるから、学会の方を選んだ、というより短歌関係は初めから無縁のものであった。

ただ、学会のなかでも、たとえば歴史学と国語国文学、国語学と国文学、国文学と日本語教育というように、同じ日に2つの学会が重なることがよくあって、学会の大小、会場への距離、自分にとっての重要性などによって、やむを得ずの選択をしていた。

これだけでも、人生が2つあればいい、というもので、まして歌会など選べる身分ではない。

と言っても、短歌でめしを食って行ける人は珍しいと思う。たいていは生活費のための仕事を持っている/持っていたであろうから、仕事と短歌とがぶつかったときは、どうしている/

どうしていたのであろう。

 

 

 

12月1日 ドラマ

もう十二月かと思う。

 

韓国の「広開土太王」という92回シリーズの時代物のドラマ、このあいだ終わった。

終わった、といっても再々々々上映かなにか、

つまり人気ドラマのようだから、何度も繰り返しやっている、

その何度かの終りであろう。

92回と言えば、3ヶ月くらいかけて見たわけである。

1度旅行か何かで見落としたことがあったように思うが、

ほぼ毎日、これを見ていたことになる。

2000年ぐらい昔の高句麗の王様が主人公。

もちろん、荒唐無稽で、かの「倭人」国がやっつけられるあたりなぞ、

噴飯物というか、抱腹絶倒というか、

きわめてばかばかしいストーリーであった。

が、面白いことは面白い。

4、5回、このへんで終わったほうがいいのではないかと思ったが、結局、3ヶ月もみてしまい、見ない日が来てしまって、寂しいような気もする。

もしアニメなら、有料のプレミアム版で、一気に見てしまったかもしれないが、

そこまでは病みつきにならず、無料の1日1話で、ちょうどよかった。

 

中国(台湾?)ドラマでも、二、三度このようなことがあった。

どちらかというと神仙術が使われるようなファンタジー傾向のものが好みかと

自分では思うのだが、今回のような現実界のものや、現代ものも見たなあと思う。

とすると、二、三回ではすまないか。

そういえばイギリスのSFものも見たことがあると思いだした。

長生きはするものである。

 

 

 

11月30日 更新再会

Jimdoの方で、様式を変えたからか入力しやすくなったので、更新を再開する。

と、いっても、ここのところ忙しい。

 

24日 大阪(2箇所)人間ドックと短歌教室

27日 大阪 白珠70周年記念大会・歌集出版記念会

29日 東京 現代短歌社主催の会

 

30日 奈良 歌集批評会

3日 奈良 学会関係(以下、予定)

4日 京都 短歌関係

 ……と忙しい11日間である。

 現役時代を思い出すが、あのころ短歌が

できなかったのは、もっともである。

 

 

(ー11月7日から18日にかけての記事が消えてしまった。

ホームページが過飽和状態になっているのではないかと思う。

しばらく、この「日誌とエッセイ」は休むことにする。)

 

 

       11月6日 ことばの限界

ことばには限界がある。

あるいは、ことばによる表現には限界がある。

円筒を真上から見れば円形だし、真横からみれば長方形である。

ことばが表現できるのは、円とか長方形とか、2次元世界でとらえたものごとである。

だから同じものを円形とか長方形とかで捉え、そう言い表す。

 

学問的研究なら、上、横、斜めのいろいろな角度から見る。

それでも原稿用紙30枚くらいでは言い尽くせぬものだ。

詩なら、直観的に、かつ直感的に円筒を表現する。

しかし、それがそのまま読者に伝わるとは限らない。

実際には、円筒のようなシンプルな形は少なくて、椅子にしろ机にしろ、形はもっと複雑だ。

 

ところで、評論というものは、研究の客観性と詩の直観性の中間のような、悪く言えば中途半端な、どうにでも書けたり読めたりするものかもしれない。

特に文学作品の書評など、作品に合わせて読んだ結果であるから、正反対の傾向の作品を、同じことばで評価したりすることもあるであろう。

これは、このホームぺージのことをも言っているのである。

 

              ◯ 

 

この一週間は、あまり外出していないので、運動不足が心配である。

歌集を11月1日に出して、2日だったと思うが、その歌集のカバーの図案に「百鬼夜行絵巻」を書いてもらっていたので、あべのハルカス美術館の妖怪展を見に行った。

はじめて本物の百鬼夜行絵巻を見たが、市販の書籍にある写真版より色が良いように見えた。

鳥獣戯画が漫画の先祖なら、百鬼夜行絵巻はシュールの先祖だと思っていたが、こちらの方もシュールながら、漫画の、より前衛的な先祖と言えるかもしれない。実物は書籍で見た写真版より、やわらかみがあるような気がした。

歌集『うたがたり』のカバー絵はこれをデザイン化したもので、おだやかなユーモアと全体的な躍動感があって、歌集の装幀としては出色の出来かと思う。

 

                    ◯

 

私自身このごろは礼状をめったに書かないので、それを願って謹呈するわけではないが、歌集を謹呈すると礼状をいただくことがある。

自己満足型の私ではあるが、それにもかかわらず知らされることが多々ある。

 

短歌と言えば、私の場合、一般的に言うなら、数年前までは新しい世代で永井陽子ぐらいまでしか、その歌集を読んではいなかった。このごろは、それよりもっと新し若い世代にも、手が届きはじめたかなという気がする。知識としては、あやふや以前のところだが。 

 

                                                    ◯

 

『ザ・サークル』(ディヴ・エガー)を読み終わる。

完璧な「正義」のもとに、監視カメラやインターネットなどによって、全人類が全人類を監視する世界の誕生を描いたもの。520ページという分厚い長編小説なので、多くのページを流し読みしたにもかかわらず、読み終わったときに心が恐ろしさで震えた。

オーウェルの『1984年』は密告などによって社会主義的独裁者(?)が支配する監視国家を描いたものだったと思うが、インターネットや監視カメラやスマートフォンなどによってすべてを記録する民主主義的監視世界は、さらに実現性があって、「絶対善」が人間性を徹底的に破壊する怖ろしい牢獄である。

「マイナンバー」制など、そうした世界へ一歩を進める仕掛けの一つであろう。まことしやかな口実となる「善」ほど、「悪」の罠となりやすい。

 

 

       11月1日 パソコン愚痴

 きのうか、おととい、このホームページの目次に1項目を加えて、ヤフーで結果を見ると、なんと「ホーム」の記載がすべて消えてしまっていた。どこかを間違えて、触れたか押したかしてしまったのだろう。

 第一面のホームで、目次だけだったから、本文を参考にがんばって、ある程度、復旧できたが、これが本文だと、もう復旧はあきらめねばならないところ。

「歌集との出会い」以外の記事は、なるべく書かないことにしよう。

                                            ◯

アクセス・カウンターが消えてしまった。

引っ張って来たときに、うまく行かなかったのか、しばしば1週間が8日あったりして、不審な記録をしたが、無いよりはましと思って、そのまま使っていた。

ホームページもカウンターも無料のままので今日まできたが、

このホームページも終末が近づいているのかも知れない。

 

 

       10月30日 六甲山

春や秋の、晴れた日の六甲山は、人が多くていけません。

レストランなどは客が多くてうれしいだろうけれど、客の方は待たされ役で、昼ごはん食べるのに1時間かかってしまったりする。

今日は、アベック(カップル)が多く、子供連れも少しいて、年寄りは相対的に少ない日であった。

おととしだったか、もう少し後に来たが、寒くて客もほとんどいなかった。それが私にとっては、静かで良い日だったのである。

 

今日のような晴れた日曜日は、短歌むきではなく、一首も作らなかった。

かわりに、帰ってから、最近作った作品を12首も削った。

どうも、嘱目詠というのは、長く作っていると、印象の弱いのが多くなっていけない。情景はいろいろなのに、言葉を使うと、自己模倣的の大同小異となってくるのかも知れない。

 

                 ◯

 

『うたがたり』という歌集を11月1日付で出版した。

一年間で420余首。

よく作ったものである。

カバーの絵が「百鬼夜行絵巻」を図案化したもので、

これが気に入っている。

出版は、去年の歌集『昼のコノハズク』と同じ「いりの舎」である。

 

今日、謹呈先に届いたもようである。

                          

 

 

 

 

      10月26日

「スノーデン・ショック」(デイヴィッド・ライアン)を読む。

翻訳調の読みにくい文章である。

全体の構成が日本語に合っていないのであろう。

部分部分も読みにくいので、読んでいても、頭に入ってこないことが多い。

 

「日本語版序文」によると、エドワード・スノーデンが2013年にNSA(アメリカ国家安全保証局)の活動について暴露を行った。

 

この局が自国の市民だけでなく、ドイツやブラジルのようなアメリカの同盟国についても、政府高官、企業、一般市民などへのスパイ活動を行っているということである。

東京をも標的にしているらしく、そういえばそんな新聞記事を見かけたが、ドイツやブラジルと違って、日本政府が抗議したなどということも、(予想通り)新聞記事では見なかった。

日本のある分野の大企業の情報がアメリカに漏れているということは、以前にニュースになったことがあるし、そもそも日本の高級官僚など、アメリカ官僚の下っ端みたいなものじゃなかろうか(?)。

 

ただ、インターネットや電話の交信がすべてアメリカにつつぬけということは、気味が悪い。アメリカにつつぬけになることは、一般市民の情報が、日本政府につつぬけ状態だということになるから。

お上や警察が、あいつの情報を知りたいと思えば、すぐに調べられる状況になるということである。

 

だが、考えてみれば、アマゾンや知らぬ企業から、お客様向きの商品ですと望んでもいない情報がしょっちゅう来たり、ヤフーの広告にこちらの好みの方向の画面がしょっちゅう現れたりするのも、コンピューターが私のインターネットでの行為を調べて、自動的に送る情報の選択を行っているからであろう。

スーパーのポイント・カードなども、その店で誰が何を買ったかということを調べるためであろう。

旅行会社や不動産業などの一般の企業でさえ、まったくの一般市民に過ぎないものを対象に、なんらかの方法で客の情報を集め、インターネットでその人向きの宣伝情報を送っているくらいだから、利用価値のある人物として政府や大企業にねらわれれば、利益供与だの脅しだので、人々があまり自覚もなしに自分の意見を操作されることは、たやすいことか。

 

時代が大量監視の時代になって、情報の操作などもたやすくなり、いよいよ憲法もアメリカの望むように変えられるのであろうか。

 

そして、ますます相互監視の時代へと突き進んでいくのであるか。

 

 

 

     10月24日 小津安二郎映画「お茶漬けの味」

隣りの家庭をのぞき見るような映画(のDVD)。

私には見るのが苦痛でしかなかったが、

しかし、今の80代以上の世代は

このような映画に胸踊らせたのだろうし、

70代の見たテレビのホームドラマも

こんなものだったのだろうと思った。

 

 

     10月23日  旅行詠

小笠原諸島はともかく、1泊すれば日本中、たいていの所へ行ける時代になった。

40年まえなら、そんな気軽な、安直な旅で作品を作るなどは、軽薄だと批難されかねなかっただろう。

しかし、長くいれば精神的に弛緩して新鮮な気分になれないということもあるから、長くいればいいというものでもなかろう。

関西時代の谷崎潤一郎や、若き日の北原白秋のように、転々と家を移るのも作品のためにはいいかもしれない。

しかし、作品ができるかどうかは、偶然が作用することだから、確率からいって、4、5日は同じところに泊まりたいものだ。

いや、2、3ヶ月、いや2、3年ぐらい同じところに居たいものだ。

そうなると、もう旅行とは言えないかもしれないが。

 

 

 

日誌とエッセイ(続) 

 

 

      1022日 「海がきこえる」(氷室冴子)

 

読みやすい。ライトノベルかな、と思ったほどである。

 

だが、学園モノなので、内容は苦手である。しかも女性視点で見た学園モノである。これが、マンガだったらぜったい読まないなと思った。

 

と思って、本棚を振り向いたら、「亜人(デミ)ちゃんは語りたい」(ペトス)の④があった。なぜか予約をして買ったマンガである。だが、これは、登場する女の子たちがバンパイアとか雪女とか、人間ならぬ人間たちで、少々、SFがかっているのである(としておこう)。 

 

「海がきこえる」は、学園モノそのまんまである。 

なんで買ったのか分からんが、たぶん古本でうんと安いのをインターネットで買ったのだろう。宣伝に乗せられたのかも分からない。

 

女が見た学園とは、なるほどこんなものかと思いながら読んだ。

 

                  ◯

 

昼に散歩がてら、JRで須磨駅まで行った。 

時間は片道1時間近くかかるが、料金は、ほぼ市バス代と同じ程度で安い。 

 

延着の電車を15分ほど待ちながら、 

摩耶駅から、街の上をツバメらしい小鳥が30羽か40羽、群れを作って何度も繰り返し行ったり来たりして飛んでいるのを見た。

 

もうすぐ、南へ行くのであろう。 

そのための、グループで飛ぶ練習でもしているかのように、 

同じあたりを繰り返し繰り返し行ったり来たりしていた。 

 

須磨駅の前の海を見る。 

突堤では、魚を釣っている家族がいた。鯵だと思うが、たくさん釣れていた。 

子供の頃、この海で何度も釣ったが、釣れるのはテンコチばかりで、たまにヒラメが釣れると、小さいものでも嬉しかったものだ。 

 

海を見ると心がやすらぐ。 

小雨が降っていたので、砂浜で寝ころぶというわけにはいかなかったけれども。 

 

     1022日 短歌  

17日から19日にかけての2泊旅行で20首の短歌を作った、あるいは20首の短歌が出来たと書いたが、どうしたら短歌はできるのであろう。嘱目詠、即興詠といっても、待って居ればできるというものでもない。どうしたらできるのか、それが分かれば楽、いや取りこぼしがなくていい。

 

金沢で最初の一首ができたのは、城跡の堀の上に一匹のトンボが飛んでいるのを見たときである。赤とんぼというのは、ふつう何匹も飛んでいるものだが、もう秋が深まったのか、一匹で飛んでいたのが、感受性というものを刺激したのであろう。

 

次の朝、ホテルから出るあたりで、出来かかっていた即興の一首が短歌になりかかった。即興詠というのは、狂歌の方向へ行きやすく、それを押しとどめて作った一首なので、まだ短歌と言えるほどではない。

 

そのついでに、きのう作りかかっていた2首ができ、ついでにすぐ忘れてしまうような1首もできた。あるいは朝、金沢駅で新幹線に乗ったころだろうか。

 

飯山はたぶん、新幹線用にできたばかりの駅で、駅があるだけで、店もない。したがって、見たままといっても、何も題材が見えてこない。

 

朝のうちにバスで野沢温泉村に行き、ホテルで荷物をあずけ、時間つぶしに温泉街を歩いた。なんだか蒸し暑くて、疲れたのか、短歌はできない。短歌を作る気にもならない。まだ、ここがそのためのテリトリーにはなっていないのだろう。 

だが、そうは言っても5時間ぐらい、うろついたり、石に座ったり、レストランでピザトーストを食べて休憩したりしたりしたので、少しメモができた。

 

夕方近く、ホテルの宿泊費が山の上から夕日を見るというバスツアー込みだと知って、行かないのももったいないと思って、2時間ほどのツアーに行った。 

曇っていたが、千曲川の流れる広大な景色を見ることはできた。 

だが、広大な景色など、とても現代短歌におさまるものではない。斎藤茂吉にでもまかせてやれ、と思って作る気にもなれなかった。 

 

……というような調子で、次の日の昼前、帰りの金沢駅に新幹線が着くまでに、20首ぶんのメモができたのであった。

 

次の日、推敲して8首を捨てた。

 

その次の日、また推敲していて、連作の都合上か、惜しいからか8首を拾い直し、さらに構成上必要な1首を作り足して21首の連作ができ、これが長すぎるので、2つに分けた。  

 

そういえば、いままでにもこうした作り方をしたことがあったなと、気がついたのは、22日のたった今である。 

 

        1021日 ノーベル文学賞 

 

14日に、ボブ・ディランが受賞するのは良いことだと書いたが、 

本当は、川端康成の後に、あるいはそれよりも先に、 

手塚治虫が受賞すべきだったとも思う。

 

ノーベル賞がなんぼのもんじゃい、という考えもあるだろうけれど。 

 

アニメの「この世界の片隅に」は、妹尾河童原作の映画「少年H」以来の戦争ドラマと言えるだろうか。主人公の声優を、のんさんがするというのも、このアニメにとって、思わぬ幸運となっているであろう。上映されたら、ぜひ見に行こうと思う。 

 

      1019日 北陸の旅 

16日の晩にインターネットでホテルの予約を取って、17日に北陸へ行った。 

17日が金沢。過去への旅だと思っていたのだが、町はえらい(すごい)変わりようで、過去など吹っ飛んでしまっていた。40年もたてば、こんなものか。

 

兼六園には観光客が多い、大きな通りが出来たからか、金沢の街なかをやたら沢山の自動車が行き来している。駅前、どうにかならないかと思うほどである。駅の構内には土産物屋がまた多いが、ふつうの食べ物屋が見当たらなかった。へんに前衛的な駅の外観である。 

 

18日、野沢温泉村へ行く。新幹線の飯山駅からバスで25分。バスは一時間に一台ぐらいで、そのときの客は私一人であった。 

50年ほど前にはうんざりするほどバスで長い時間がかかったので、私はここは新潟県だと思いこんでいたが、今回、まだ長野県の県境の内側だと知った。長野なら中部地方か。

 

交通が便利になった分、日本が縮んだような気がする。

 

現在はずいぶん町が近くなっている。 

いや、野沢温泉村が温泉町になりかけている。 

民宿が昔にまして多いように思う。町のあちこちで見かける。今も50年前のように、夏休みに学生たちが来るのだろうかと、誰かに聞こうと思って聞き忘れた。 

アメリカ人らしい外国人のカップルが街を歩いていた以外は、学生らしい若者は見かけなかった。夏休みではないから、これは当然か。 

昔、民宿に泊まりながら、秋の祭り、冬の祭りも見たし、いまテレビで見るよりはずっと規模が小さかったが、1月の祭りのときには、私もいっしょになって、薪だか藁束だかをどんどん祭りの炎の中に投げ込んだものである。 

思えば、昔の野沢村には4、5回は行っているであろう。

 

「熊の手洗いの湯」などという名前の温泉を見かけたりして、その名前だけは薄っすらと記憶に残っていた。 

あのころは養蚕農家の名残があったりして、もっと農村っぽい農村であった。村で最後の混浴風呂があったりしたし……。               

 

帰りの新幹線の窓から、4両編成ぐらいの蒸気機関車を見かけた。おいおい、どこかで時空がずれて、昔の夢を見ているのじゃないか、と思いかけた。 

しかし、もちろん次の駅で下りて確認するようなことはしなかった(したかったが)。 

帰りは、行きの逆を神戸へ1日で、6時間半ぐらいで戻って来た。 

行きは風邪で頭痛がして、無謀だったかなと思ったが、家に帰り着いたときには、ほぼなおっていた。

 

                 ◯

 

短歌は、ちょうど20首、例によって嘱目の、写生ふう写実詠で作ったが、推敲しているうちに何首か捨てるであろう(以前は一度に作る量は5.6首が基準だったが、このごろは10首くらいを基準にしている。もっとも、1首だけということも多い)。 

 

昔、「木の上を魚が泳いで過ぎてゆくさびしきものに出会う夕ぐれ」という短歌を作ったら、「(そんな虚構が許されるなら)いくらでも作れるではないか」と言った人がいたが、実際には虚構の方が写実より作りにくい。

 数多く作れるのは写実である。なんせ、見たまま感じたままを詠めばいいのだから。

 

見ない人、感じない人には詠めないが、それは虚構も同じ。心の外を見るか、心の内を見るかの違いはあるかも知れないが。

 

しかし、たくさん作れるからいいものが作れるとはかぎらない。

 

 (ヨーロッパの自然主義小説は虚構だが写実でもある。虚構は内容について言い、写実は表現について言うのであろうか。虚構を写実と対立させるのは、短歌の特殊事情によるのだろう。写実といっても正岡子規的遠近法視覚によるデッサンと、斎藤茂吉的プレ遠近法視覚による観入ではずいぶん違うであろう) 

 

       1016日 チェ・ゲバラ      

 

     チェ・ゲバラ 

 

              小谷洋一 

 

コンクリート造りの水産物倉庫の横の道を  

ひとり歩いていた。  

うす青いだぶだぶの作業ズボンをはいて。 

 

チェ・ゲバラにしては若いな、  

やせて小さいなと思った。 

 

チェ・ゲバラはくたびれていた  

生まれ変わった人間のように  

まぶしそうに空を見上げた。 

 

いま、昔死んだ少女の夢の中に  

いるなと、気がついた。 

 

夢がさめたら私であった。

 

         ◯  

 

ついひと月前は夏だったが、今は急転直下の秋である。  

ひと月前はまだ扇風機を付けていたが、  

今日は、半袖では寒い。  

きのうは風邪を引いていた。 

もう旅行に行かなくては、冬になってしまうと思い、 

いま、インターネットで行く先を探している。  

  

 

 

おとつい(おととい)、高校生の頃、「詩歌の広場」という  

アンデパンダン形式の有料の投稿雑誌に  

短歌や俳句や雑文を投稿していたことを思い出した。  

個人で印刷業をしているらしい篤志家のような方が  

自分で、ひょっとしたらガリ版を切って出版されていた。  

あの雑誌はその後、どうなっただろう。 

勝手な、短歌とも言えぬ拙いものを投稿していたが、 

今思えば、私にとっては、砂漠の中のオアシスだったのであろう。 

 

その投稿生活が、いまも続いているような…… 

 

 

      1014日 ノーベル文学賞

 

ボブ・ディランが受賞するという。

 

いいことである。 

 

      1013日 多忙中

 

この一週間は奇妙に用事が多い。

 

9日(日)、大阪での白珠本社の歌会。10日、神戸兵庫駅近くでの他結社歌人の歌集批評会。12日、神戸白珠の会の歌会。13日大阪での短歌教室、そして、15日(土)に大阪での白珠支社関係の会(予定)。いずれも、短歌三昧とは言え、一週間に5件とは、退職して以来である。

 

時の流れがハヤイ。一週間だけ、とは言うものの、現役時代を思わせる、にちひの速さである。日頃は、いかに怠慢な時間を送っているかが実感される。 

 

怠慢まみれの時間のありがたさよ。 

 

 

      107日 「やさしい本泥棒」 

今日は、DVDの「やさしい本泥棒」を見た。 

ナチス時代のドイツが舞台といえば、重そう、暗そうで、えらいものを買うてしもた、と思いながら見始めた。

 

まさに、重そう暗そうで、2013年のアメリカ映画とは思えない。

 

長い人生、戦争映画もそれなりに見ている。

 

しかし、こうしたまともに取り組んだ映画は、この頃の日本映画では見ないなあと思う。 

名画映画サークルなどでやっているかも知れないけれど。

 

続けてはしんどくて、3回に分けて見た。

 

結果、今の日本にこそ必要な映画だと思った。 

 

    106日  草のびる 

彼岸花といえば、毎年、お彼岸の日に咲いているものだと思っていたが、今年は一週間ほど遅れた。それだけ暑さが長くつづいたのだろう。

 

18年ほど昔に台湾へ行った時、青に中心部が紫がかった昼顔がたくさん咲いていた。 

熱帯性の昼顔かと思った。 

西洋昼顔とかヘブンリーブルーとかいう真っ青な昼顔があって、これは子供の頃にも植えたことがある。 

秋になっても咲いているきれいな、じょうぶな昼顔である。

 

だが、この昼顔は色がそんなに真っ青ではない。すこし紫がかっていて、その分、重い感じのする青である。

 

数年前だったか、沖縄へ行ったら咲いていた。北上してきたのかと思ったら、神戸でも見かけるようになった。 

園芸店のカタログに宿根朝顔と書いてある。 

近所の空地にいちめんに咲いているのを見た。

 

いよいよ北上してきたな、と思ったら種を撒きもしないのに、今年はわが家にも咲き出した。 

これが、秋近くになってからも、激しく伸びる。 

花はきれいだが、もう手を焼かせる雑草である。 

 

この手の園芸植物が雑草化する例では、キイチゴやノウゼンカズラがある。 

フキノトウやシャガなども繁殖力がつよい。 

トクサのような思わぬものまで雑草化する。 

雑草化すると手に負えない。 

 

夏に買った白メダカがほとんどいなくなったので、6匹買い足した。 

死骸も残さず減っていったから、何かに食われているのかもしれない。 

白という色?はあんがい目立つからねらわれやすいであろう。 

金魚などベランダで飼っていても鳥にねらわれるようだ。

 

メダカがゼロになるとボウフラがわくから買い足しておくのであった。 

 

退職したら熱帯魚を飼いたいと思っていたのだが、部屋がしっけるし、電気代がかかるし、けっこうマメに面倒を見る必要があるしなどと、なまじ経験しているので、二の足を踏んでいる。 

 

今年は台風が多くて、夏に旅行に行きそびれた。 

足が弱って旅行に行けなくなると、小鳥でも買おう。 

もっとも、早くしないと、小鳥の方がこちらより長生きしてしまうであろう。 

 

                                       

 

『壁抜けの谷』(山下澄人)読む。いや読んだはずだが、読んでいない。 

そういう小説だ、これは。

 

主人公が「ぼく」と言っていたのが次の行では「わたし」と言っている。

 

男が女になるのは、少なくとも短歌では難しいものだが、この小説では、男が次の行では女だったりする。 

その主人公が話している相手も、あれだかそれだか、長谷川だか武藤だか、認識がふらふらしていて、よくわからない。 

生きているのか死んでいるのか、若いのか年寄りなのか、主人公も登場人物も、ふらふらと変わるという認識もあいまいなまま変って、今まさに起きていることについての記憶でさえ、ふらふらとして、さだかではない。

 

私のこのブログを、もっと独白のていどをきつくして書くとこんなものかもしれないと、思ったりする。 

 

いま書いたかもしれへんけど短歌は視点人物をわりあい自由に替われる表現形式である。だからこそ、視点人物は必ず現実の自分自身だと、そうでしかあり得ない歌人たちが、そうだと言い張り、脅迫してまわるのだろう。

 

その視点の自由な短歌でも、「男」から「女」への反転は難しい。 

「女」から「男」への反転はもっと難しいようだ。 

 

シンガーソングライターの坂井泉水(さかいいずみ)の、男として作ったニューフォークの歌詞なども、うわあ、めっちゃ女やわ、と思ってしまったりする。

 

その坂井泉水の女を主人公にした歌詞と、田辺聖子のハイミスもの短編小説の場面をまぜたり、ひっくりかえしたりしたような、けったいな一首ができてしもた。今度出す歌集にある。ふだんは、霊感に頼って作るので、そんな作り方はしないのだが、連作をしているうちに、そういう一首が必要になったのだと思う。それも霊感のうちか。

 

しかしあれは、結局、男としてのセリフになってしもたんと、ちゃうやろかとふと思ってしまう。 とすると、ちょっとマンガチックやなあと、……こんな調子で書いてゆくと、『壁抜けの谷』に近い文体ができてくるかもしれんな、と、どうでもいいことを思った。

 

                   ◯

 

DVDでアニメの「ファンタスティク・プラネット」を見る。

 

映像はことば以前のいろいろな奇っ怪なものを見せてくれるから楽しい。

 

もし、カラーのマンガ版があれば、それでも良かったかなという気がしないでもないが。

 

どこかの星の、わけの分からぬ、けったいな景観がシュールで特にいい。

 

1973年のフランスとチェコの合同制作アニメである

 

 

 

(以下、次の日、七日の朝に追記)

 

今年の7月に作った私の短歌の連作「未来」に一首、「ファンタスチック・プラネット」によく似た発想の作品があった。

 

もちろん、これから発想を得たわけではないが、ここから影響を受けたアニメから影響を受けた可能性はある。「進撃の巨人」だろうか。もっと古いのにあったような気もする。

 

いや、すでに空想の地下世界を書いた私の紀行にそんなものがあった。 

 

以前、月が二つある世界を短歌に書いたら、村上春樹の小説にもそんな世界があった。まずいかな、と思ったが、しばらくして、すでにアニメの「スペース・コプラ」にも月が二つある惑星(プラネット)があった。

 

よくよく考えれば、インドネシアだったかの昔話に、元は世界に太陽が三つあったというのがあった。岩波の少年少女文学全集か何かにのっていた。

 

惑星には幾つもの衛星があることも多く、むしろそれが一つだけという方が珍しいようだ。 

 

 

      105日 「風のガーデン」

 

完成度の高いドラマであった。

 

観客を引っ張っていく話の組み立てがうまい。

 

これは、テレビドラマなら当たり前かも知れないが。

 

そして、結末に向かって、結婚式のデコレーションケーキのように、甘ったるさがてんこ盛りであった。

 

現実ではストーカー殺人事件ような地獄さえ存在すること、男女親子の葛藤は、簡単に一人の死でめでたしめでたしとは、終われないことを思うと、いかにもお膳立てめでたく、お涙をそえて、お茶の間で見るテレビ番組向きに作られた、結果オーライのこのドラマは、現実には合わない天国のおとぎばなしのようなものだと思う。

 

芸術ははたして、本当の現実を追いかけられるだろうか。

 

テレビの視聴者相手のおとぎばなしでは、それは無理、……だろうな、と思ってしまう。

 

せめて、純文学ならどうであろう。

 

 

 

                                               

 

 

 

退職してから、どうも自分の魂が浮遊しやすくなっているような気がする。3日間もたてつづけにテレビドラマ、2作品,22回分も見たりすると、もういけません。

 

道を歩いていても、ドラマの中の一場面がリアルに頭に浮かんだりする。もちろんここまで浮遊してしまうと、短歌などできない。

 

映像生活が現実生活を押しのけてしまい、日常が非日常のように感じられかねないのである。

 

 

 

 

 

 

 

      104日  退職した職場へ行った

 

今日は、退職した大学の研究室へ行った。

 

サイバーライブラリーという部屋で、雑誌の調べをしようと思ったのだが、

 

去年の春に行ったときと、コンピューター検索のしかたが少し変っているようで、

 

要領がわからないので、別のなじみの研究室で調べた。

 

調べたといっても、4年前に発表した自分の論文をコピーしたのである。

 

4年前なら自宅で用がすんだのだが、今は自宅の本が整理ができていないので、

 

なかなか簡単にはいかない。

 

2度職場を変っているので、退職前の職場へ行く経験はこれで3度目である。

 

退職した職場というのは、何となく行きにくいものである。

 

前の2回はそれでも非常勤講師で勤務を続けていたが、

 

今は、全くの退職後である。

 

年々行きにくくなるかも知れない。

 

とは言っても、いまのところは、まだ平気の内と言えるであろう。

 

 

 

                ◯

 

 

 

去年か一昨年、インターネットで「ドクター・コトー」というテレビドラマを、5話(以上?)ほど見たのを思い出した。沖縄の石垣島へ行ったツアー旅行の時に、そのロケ地の一つだったという建物を見てきたからだろう。

 

 

 

きょうは、倉本聰の「風のガーデン」を見始めている。

 

これは、富良野へ行ったときに、そういう名のガーデンがあって、同名のドラマのロケ地になったということを知ったから。

 

しかし、庭園の風のガーデンへは、まだ行っていない。

 

一昨年かその前の年だったと思うが、秋に富良野へ行ったとき、駅までは言ったが、そこからはどしゃ降りの雨で、どこへも行かなかった。

 

  案内所の若き女性と話していたわずかな時間もそとはどしゃぶり

 

  秋雨の富良野でそば食うふと若く信濃の駅でそばを食うわれ

 

                            歌集『昼のコノハズク』より

 

 

 

 

 

  103日  テレビドラマ

 

ユーチューブで、倉本聰原案の「優しい時間」を見る。

 

晩秋の紅葉で自然の光景がきれいなあたりは、人々のドラマが退屈で、自然の景色のある場面を主にして、コマを飛ばしながら見た。

 

本格的な冬になってから、ドラマにのって来た。

 

なんということか、倉本聰脚本のあたりはドラマが単調で、他の脚本家になってから面白くなりだしたのかも知れない。もっとも、つまらぬネタとエピソードで興味をひこうとする脚本家もいたりして、何人も脚本家がいるので、全体的なバランスが必ずしもとれていないのではなかろうかと感じた。作品の質を考えれば、ある程度は単調なままを通したほうが良かったかも知れない。視聴率は下がったかもしれないが、それは別のこと。

 

ともあれ、北海道を舞台にしたドラマは、自然の風景がいい。

 

ただ、四季のうち、冬は白と灰色の、色彩の変化があまりない風景で、

 

それが北海道の特徴であり、深いところだと言えば言えるが、

 

11回シリーズの大半が「雪」ばかりの「冬」だというのはとまどう。

 

劇場用映画で、ある年の冬だけをえがいた、というのなら分かるが。

 

実は、私は春を心待ちにしていたのだが、

 

春になる前にドラマは終わった。

 

降っている雪のようすで、春が次第に近づいて来るのを表しているようだが、

 

雪国ならぬ地域に住んでいる者にとっては、

 

その繊細なところまでは季節感を堪能できない。

 

たとえば、猛烈な吹雪の日が多かったのが、

 

水っぽい大きな雪が流れるように降り始めると、

 

春が近づいたかな、といった気はするが。

 

倉本聰は、登場人物の沈黙と、

 

その繊細な季節の移り変わりの部分を重視する脚本家なのかもしれない。

 

伝統的な日本文化に合っていて、それはいいと思うが。

 

いちおう作品を見終わってから、

 

人間たちのドラマの筋書きに、よけいで誇張されたものがあって、

 

もひとつ満足できんなあと思った。

 

俳優は、よく分からないが、意外にうまい人もいた。

 

 

 

考えてみれば、こういう家族もののテレビドラマはずいぶん長く見ていない。

 

ひょっとしたら、向田邦子の『阿修羅のごとく』以来かもしれない。

 

とすれば、インターネットで調べてみると35年ぶりとなるが。

 

NHKの朝の連続ドラマは、たまに見ている。

 

 

 

インターネットでニュースを見るようになって、ほとんどテレビは見なくなった。

 

家族ものドラマまでインターネットで見るようになったのである。

 

(ミステリーものは、時間つぶしにテレビで、ごくたまに見ている)

 

 

 

 

 

 

 

      102日  六甲山

 

きのうは、六甲山へ行った。

 

ふもとから見ると、山は霧がかかっていたので、観光シーズンの土曜日ではあっても、客は少ないだろうと思ったのだが、そこそこは居た。

 

外国人が多い。広東語らしい言葉も聞いたから、

 

アジア系の、たぶん中国人のいろいろなグループであろう。

 

まるで自分の国にいるかのように自然にふるまっているようである。

 

 

 

赤っぽい着物(和服)を着た人がいたので、日本人かと思ったら、英語をしゃべる。たぶん中国人だろう。(状況を説明するとなると、表現がやっかいだが、バスの下り際にその若い女性が日本語で運転手に料金がいくらか聞いた。注意していなかったので、しっかりとは覚えていないが、たぶん「160円?220円?」といった聞き方でなかろうか。はっきりした日本語であった。運転手が一瞬迷ったのか、間があって、女性はそのまま下りて、出口の外で待っていた。私はすぐ後ろだったので、下りていいものかどうか迷い、「どうかしたんですか?」ときいたら、「私は……」と英語で返ってきた。分かりやすい英語だと思ったが、……の部分、意味は分からなかった。そうするとすぐ、運転手は「160円」と返し、ことなく場面はおさまったのであった。ずいぶん久しぶりにナマで聞いた英語であった)

 

 

 

女性は小雨もようの高山植物園へ入って行ったが、こんな日に着物で行くかと驚いた。

 

何かのイベントに関係しているのかもしれないし、

 

ブータンなら着物が普段着かもしれない、と後で思い返した。

 

 

 

 

 

前回、来た時に買いそびれたムシトリスミレの苗を買って帰った。

 

 

 

                                               

 

 

 

むかし、中国へいったときのこと、

 

香港で一泊して、帰りの宿泊を予約してから中国へ入った。

 

帰りに香港でうろうろ歩いてから、宿へ行こうと思ったが、

 

宿の名前を忘れている。

 

タクシーに乗って、たしか「アコモデート」だったと思ったので、運転手にそう何度も叫んだ。

 

運転手は無線で連絡を取っていたが、どうも分からないという結論だったらしく、結局、私はタクシーを下りた。

 

下りて、喫茶店でボストンバックの中を探っていたら、予約の確認証が出てきた。

 

なんとアコモデートのあとにホテルの名前が書いてあった。

 

アコモデートとは、「宿泊予約」のことだったのである。

 

 

 

あのときは、つくづく香港が小さな国(?)でよかったと思った。

 

中国でタクシーに乗って、名前を忘れたホテルを探していたら、えらいことになる。

 

 

 

あの日、ホテルでウイスキーの水割りを飲みながら見た夕日は、この上なく綺麗であった。

 

 

 

 

 

 

 

  101日  「闇のバイブルー聖少女の詩-」と「草迷宮」

 

難解きわまりない作品、まったくわけの分からない内容、あらすじを書きようがない、などといった説明文、感想文の断片にひかれて、ついこのDVDを買ってしまった。

 

このシュールさは、今となっては、それほど難解ということもないな、映像の展開する流れをそのまま追っていけばよい、などと思いながら見た。

 

火あぶりの目にあったにあった少女が、次の場面では生きているなどということを分からんと思うようでは、映画どころか夢も見られない。

 

ちなみに、これは社会主義時代のチェコで作られた映画らしい(?)。

 

 

 

次の朝、まてよ、あの映画、どこか「草迷宮」に似ていると気づいた。

 

主人公が女か男か、

 

文化背景がキリスト教の西洋文化か、アニミズムがかった日本の文化か、

 

主人公が(を?)追い求める対象人物が不特定で不明の、色欲まんまんの自称父親たちか、わが子の「生」に君臨する近親相姦的ゴッドマザーか、

 

主人公が魔女狩りにあって焼かれるか、木に縛りつけられて打たれるか、

 

向こうから魔物たちがやってくるか、こちらから探しに行って出会うか、

 

いろいろと対照的だが、性に目覚める時の「こどもおとな」が魔界巡りをする様相は似ている。そういえば、どちらも制作当時に劇場で上映されたかどうか、疑問符が付きそうだ。

 

 

 

ちなみに、DVDのケースにはかたや「吸血鬼、悪魔、魔女が跋扈するゴシックな迷宮世界に迷い込んだ少女ーアリス・ヴァレリエの不思議な一週間」とあり、かたや「手毬唄をさがして彷徨する母追慕の旅。幻想的な手法で泉鏡花の世界を映像化した、異才・寺山修司の最も残酷で美しい寓話」とある。

 

 

 

うむ、私の歌集のなかにもどこか迷宮巡りの片鱗があるようなないような。そういえば第二歌集の題名は「みずいろ迷宮」だった。内容は完全に忘れてしまっている。ム、ム、ム……

 

 

 

 

 

      929日  DVD3つ

 

最近見たDVDは、「猫の恩返し」(スタジオジブリ)、「草迷宮」(寺山修司)、「夢」(黒澤明)。

 

 

 

「猫の恩返し」は、まだ部分的にしか見ていない「魔女の宅急便」「耳をすませば」と同様、少女アニメだった。残念だったが、カネを出して買ったものだから、最後まで見た。そう言えばジブリのアニメの主人公は、「紅の豚」を除くと、私が見た範囲では、みな少女であった。「天空の城ラピュタ」などは、半ば少年が主人公のようでもあるが。

 

 

 

「草迷宮」は、「性と母親/マザコン息子の見る悪夢」というところか。母性社会日本ならではのテーマかしれん。寺山修司は、「母」というものの持つ独占欲、支配欲を本当に嫌っていたのだろうか。少なくともこの映画の主人公は、それを嫌い恐れていたようでありながら、実際にはその支配を、心の底では、どうも喜んでいて、「母」なるものに必死ですがりついてさえいたようにも、私には思えた。一種の相互依存か。

 

 

 

「夢」(1990年作)は、テレビですでに2回見ている。DVDが安いので買ったが、画面がテレビより鮮明なのでよかった。「『原発は安全だ、危険なのは操作のミスで、原発そのものに危険はない。ぜったいに(誤操作?)させないから問題はない』、と言ったやつらは許せない」。福島の原発水素爆発を予言したので知られている章にある、放射能に追い詰められた、子どもを連れた母親らしき人物のセリフ。この(   )の中は、何度聞き直しても、とんでしまっていて、まるで伏せ字状態である。

 

 

 

映画やアニメはユーチューブでも見れる場合があるが、ユーチューブだと画面が不鮮明だったり、話の流れが分かりにくかったりすることがある。しかし、DVDはまだ、値段が高い。今に、もっと安く、いい画面のものが見れるようになるだろうと思うが、どうであろう。

 

 

 

 

 

      924日 散歩(日常詠のこと)

 

きのうは、久しぶりに兵庫県立美術館へ行く。

 

いつもだと、歩いて美術館まで行き、帰りは阪神の岩屋駅か、JRの灘駅かから電車に乗って帰るのだが、疲れていたので、先に阪神に乗った。

 

美術館は展示替えの時期のようで、見たいような絵画展はなかったので、一階の一画にあるいつもの喫茶店で明石の地ビールの小瓶とサンドイッチと、紅茶を飲んだり食べたりして、帰りは歩く。

 

いつもとは逆の方向で歩いたからか、短歌が十五首もでき、家に帰ってから推敲して、うち五首は捨てた。

 

ちなみに、メモはありあわせの紙にする。

 

いちど、ケータイをメモに使ったら、操作をあやまったのか消えてしまったので、こりた。

 

即興的な詠み方であり、嘱目詠であり、虚構できない者が黄門様の印籠のようにかかげたがる「写実」詠である。

 

写実ができなくて何の虚構か、と思うのだが、虚構できない者は、写実と虚構を反対語のように考えたがる。

 

ピカソにしろダリにしろ写実力はたいしたものだし、ファンタジーアニメの背景画だって、なかなかの写実力である。虚構をするには、よほどの写実力がないと、ふにゃふにゃのぐにゃぐにゃになってしまうであろう。

 

もちろん、例外はある。例外はあるだろう。

 

それはまた、別の話。

 

話がぶっとんでしまったので、きょうは、これでおしまい。

 

 

 

 

 

 

 

     9月23日 老いた犬の遁走事件

 

家に居る犬、近所の大きな猫の半分の大きさもなさそうな白っぽいチワワなのだが、すでに17歳である。

 

犬の1年は人間の7年という説からすると、すでに人間の120歳となるが、まさかそこまでは年取っていない。

 

だが、人間がこぼした肉片も、すぐそばにいないと気づかないところから考え、ほとんど目も見えない、音も聞こえない、鼻も嗅げない状態になっているようだ。

 

急によぼよぼになって、この夏は越せないだろうと思っていた。だが、やたら眠っているにしろ、今年の猛暑もなんとか越した。

 

この犬が、ふいにいなくなったのである。

 

家のすぐそばに大通りがあって、自動車がしょっちゅう走っているので、はねられたんじゃ

 

ないかと思いながら、さがしていたら、ひろって警察に持って行った人がいるということを知らされて、無事、めでたしめでたしとなった。

 

おとつい(おととい)のことである。

 

 

 

ところで、偶然、戸が空いていたにしろ、なぜ家から出て、歩いて行ったのであろう。

 

この家で生まれ、ほとんど家から出たことのない犬である。

 

自分の知らない世界が怖くなかったのだろうか。

 

2年ほど前に死んだこの犬の母親なら、戸が空いていたら、すぐ、とびだしただろうけれども、性格のきつい母犬と違って、この娘犬はおっとり、ぼんやりしていたから、知ったもののいない外の世界へ、ヨロヨロと出て行った理由が、動機が分からない。

 

自由に野を走ってみたいという野生のようなものは、母犬には残っていたかもしれないが、このいつまでも自立することのない娘犬には、ほとんど見かけなかった。

 

母犬を押しのけてがつがつ餌を食うときぐらいだろうか。

 

母犬は、晩年には病気がちで、よく犬猫病院へ行ったから、家に取り残された娘犬は必死で追いかけて行きたい衝動にかられていたのだろう。

 

母親が死んでも、もひとつ死んだということが分からないように見えた娘犬であった。

 

あるいは、ひょっとしたら遁走というようなものではなく、老犬の徘徊だったかもしれない。

 

この犬を見ていると、犬にも認知症というものがあるように思える。

 

なんとなく、自分の将来を見るような思いがした。

 

 

 

 

 

 

 

  919日 図書館めぐらず

 

16日に、そろそろ、研究に戻らねばと思って、

 

荒本の大阪府立図書館へ行った。

 

だが、蔵書の検索の仕方が変ったのか、

 

図書館のパソコン検索ではえらく貧弱な情報しか引き出せなくて、

 

うまく探していた本に行き着かない。

 

まごまごするだけで、疲れて帰って来た。

 

 

 

今日、連休の月曜日に明石の兵庫県立図書館へ行った。

 

だが工事中で、隣りの明石市立図書館で聞いたら、

 

県立は駅前の仮設の方へ一時、移っていて、

 

しかも今日はお休みだという。

 

 

 

図書館にしろ、図書にしろ、ときどきは利用していないと、

 

様子が変っていたり、カンが働くなったりしていて、

 

資料さがしの段階からつまずいてしまう。

 

 

 

そういえば、ヤフーで私の名前を検索にかけても、

 

短歌方面の情報だけで、研究者としての情報は

 

すっかり乏しくなってしまった。

 

 

 

ちょっと厄介だが、短歌の方は、

 

今年中に出版する次の歌集で一段落しておいて、

 

来年は、どこへ向かうかの、とりあえずの踊り場の一年間にしようか。

 

……などと、どうなるか分からないいい加減なことを

 

疲れた頭で考えていた。

 

 

 

             ◯

 

 

 

昨日は、「歌集との出会い(続続)」の新しい記事を書き終わったと思ったら、

 

どうしたわけか、この「歌集との出会い(続続)」の文章が全部、

 

きれいに消えてしまった。

 

さいわい、きのう書いた以外の記事はコピーに取っていたので復元できたが、

 

きのう書いたものは、復元する気力もなくほって(放って、うっちゃって)いる。

 

今日書いたのは、今朝、新しく書いた、別の歌集についての記事である。

 

せっかく感想を書いたのに、消えてしまったのは、これで3冊めである。

 

 

 

 

 

 

 

     910日  離宮公園

 

 

 

久しぶりに須磨離宮公園へ行く。

 

バラはまだ、ほとんど咲いていなかった。あるいは、咲かせていなかった。

 

バラ園の、花が咲いていないバラの木々の上をトンボが飛び交っていた。

 

 

 

これ、バラの花が咲いていなかったから、かえっていいようなものの、

 

花が満開のバラ園の上を、トンボが飛び交っている図など、あまり様にならない。

 

バラの花の上なら、せめてはチョウチョかハチか。

 

もっとも、バラの花にトンボの組み合わせも、好くないというわけではない。

 

昔のそんな絵柄も、いつか見たような、見なかったような。

 

 

 

ずいぶん、久しぶりに須磨寺へ行く。

 

よしあしは別として、すっかり観光地として、整ってきている。

 

どこかに尾崎放哉の句碑があったはずだがと、

 

さがしている間に、さがすのを忘れてしまって、

 

どこかのベンチで、秋の近づくのを感じたりしていた。

 

 

 

句碑はなかったのかも知れない。

 

須磨寺にとって放哉は、あまりいい思い出ではなかっただろう。

 

 

 

大池のほとりの一画に貸しガレージが増えてしまった。

 

いずこも同じ経済発展第一主義か。

 

 

 

 

 

     97     「船団」届く

 

俳句雑誌「船団」が届く。(「届く」は、近未来を表すはずの終止形だが、なぜか完了である)

 

短歌の雑誌は5、6種類いただいているが、俳句の雑誌はこの「船団」だけである。

 

こうした雑誌を受け取ると、まず封を開(あ)ける、ページを開(ひら)く、開いて読むの3段階の行為が待っている。この3段階までたどり着くかどうかは「運」しだい、いや「偶然」しだいのことも多い。

 

封も切らずにほっておく場合から、全体を読みふける場合までいくつかの段階がある。どの段階まで進むかは、こちらが他のことをやっていて忙しいかどうか、寝が足りていて気分がすぐれているかどうかなどにもよるが、雑誌の編集や執筆者の文章の内容、表現力にも

 

よる。

 

 

 

この「船団」は、こうした雑誌のなかでは、特に読みやすい方である。

 

たいてい、まずは読ませる記事がある。今回は坪内稔典氏の司会する座談会と、塩見恵介氏の司会役をしている座談会の二つに、まずは、読まされた、読まさせられた。

 

 

 

特集・"わたしたちの俳句生活"のいくつかの文章、連載記事の「愛とエロスー阿波野青畝の俳句」「「ミヤコホテル」の問題ー虚構と俳句の可能性についてー」など、読まされ、読み飽きない記事があって、毎回ながら、この企画・編集力はすごいなと思う。

 

 

 

……というわけで、まだ、会員の俳句作品欄にたどりつけないでいる。

 

 

 

 

 

     96日  これも日誌

 

起きてまず、動画の「公開土太王」を1話見る。

 

再校の済んだ歌集をぱらぱらとめくる。

 

自分の歌集は、編集の際にも何度も読み、校正の際にも何度か読むので、

 

出版のころには飽きる、というより食傷気味となってくる。

 

 

 

ふと、『10の奇妙な話』(ミック・ジャクソン)という今年2月発売の短編小説集が現れる。けっこう面白い。今日中に読んでしまうであろう。10話あるうちの3話をすでに読んでしまった。

 

 

 

しょっちゅう、このようなことがあるので、本が片付かない。

 

 

 

                ◯

 

 

 

整理といえば、自分が書いた雑文や歌集評なども、整理しておかないと分からなくなってしまう。手がかりの一つは、「白珠」の「社中消息」欄である。

 

 

 

  『うた新聞』一月号の「申年アンケート」に短文と短歌一首を発表。

 

  外塚歌集『山鳩』評を『歌壇』二月号に発表。

 

  「安田青風歌集『遍歴者』」を『梧桐』春号に発表。

 

  「第一歌集出版時の意思とその時代」を『うた新聞』六月号に発表。

 

短歌作品のみの場合は、歌集に収めているので省略した。

 

このほかの散文では、『鱧と水仙』に書くものがある。

 

めったにないことだが、他の結社誌に歌集評を書くこともないではない。

 

日本短歌協会会報などにたまに書く散文なども、関西ではあまり知られている歌人グループではないので記録が残らない。これは兵庫県歌人クラブなど一地方の歌人グループの場合も同じである。

 

 

 

次に日本短歌協会の今年春の「会報」に掲載された私の原稿から一部分を引用しておく。 

 

 

 

「     歌作りの上で念頭に置いていること

 

 

 

 歌は向こうからやって来るのであって、何かを私の念頭に置いて作っているわけではない。願わくば自由に遠くへと飛んでみたいと思っているが、地べたを這うことも嫌いではない。

 

 

 

 こうしようと思ってそのように作品ができるわけではないし、勉強して知識を蓄えたからと言っていい作品ができるわけではない。

 

 

 

 批評家としての私は、短歌とはなんぞやと、もっともなことを言うかもしれないが、そんな理論に抑えられてしまっては、殻がぶあつすぎて孵らぬ卵となってしまう。必死に真剣に何かをしようなどという生真面目崇拝は、文学にほど遠い見当違いのものである。

 

 

 

 批評家や研究者が並べる御託は念頭から除いて、一点に集中しないと創造などできるものではない。集中するといっても、そう意識して集中できるわけではない。バスの中で、電車の駅で、散歩の途中で、あるいは病院のベッドの上で、ふと向こうから作品のネタがやってくるのである。作家とは、何かに取り憑かれてモチーフを発動する依り代のようなものかもしれない。

 

 

 

 もっとも、あまり取り憑かれるほど集中してしまっては、自分自身へと戻れなくなる。身の破滅だ。向こうへ行ってしまって帰れなくなるほどに自己を滅却すれば、ひょっとしたら天才になれるかもしれんが、人生と短歌を取りかえたり、取りかえそこねたりするほどの馬鹿ではないなあ、俺は!と思っているが、はて?

 

 

 

 いや、退職してからは身軽になったためか、たまにひやっとすることがあるような気がする。そういうことを自覚してしまっては危ないので、思わないようにしているのだが。

 

 

 

 ただ、退職したら研究の締めくくりをしようと考えていたのが、いつまでたってもそのための仕事を始める気になれない。代わりに、短歌を作ってしまう。昔、試験の前になると、ついマンガを読みふけったようなものか。

 

 短歌を作ることを、マンガを読むことで例えては、短歌にもマンガにも失礼だが、真剣に全力で打ち込もうなどとまじめ主義でやっていては、飛べない。受験勉強でもやっているつもりで必死こいてやったところが、せいぜい『山月記』の人迷惑な虎になるのがせきのやまだろう。短歌の入り口にもたどりつけないのではなかろうか。  」

 

 

 

今年の春に発行された会報だが、二〇一六年の何月何日発行の会報か、ということまで記録しておかないと、自分の文章ながら、将来、使い物にならなくなるので、調べておこう。 

 

 

 

 

 

    9月4日  パソコン時代  

 

 

 

 きのう、ヤマダ電機へ修理を頼んでいたプリンターの引取りに行った。

 

 プリンターは故障しておらず、ただ、黒のインクがなくなっていただけであった。

 

 とすると、不具合はパソコンの方にあるのかもしれない。

 

 いぜんだと、もうすぐ黒のインクがなくなりますとか、なくなりましたとか、棒グラフ付きの表示が出ていたのが、出なくなっている。

 

 黒のインクを取り替えると、ふつうに動き出した。

 

 とすると、6月に前のプリンターが動かなくなったので、買い換えた時点で間違えた、いや、損をしたことになる。

 

 結論は、次回にパソコンを買い換えるときに、プリンターも買い換えよう、ということになった。

 

 それにしても、プリンターは、なぜたくさんの、というよりおびただしい種類の機種があるのだろう。それはともかく、機種によってインクの種類が違う。故障状況を調べる方法が違う。昔のレコード針を思い出す。レコード屋の壁に、たくさんの種類のレコード針が展示して売ってあった。

 

 あれは、レコード針は、殆ど1社の独占状態だったのではなかろうか。

 

 販売店では、いま、プリンターも殆ど2社の寡占状態である。

 

 今に、レコード針の会社のように、あるいはポケベルの会社のように、液晶画面のさる大企業のように、独占、寡占による暴利の付けが来るぞ、と思うがいかに。

 

 

 

                                               

 

 

 

このごろ、ヤフーで「公開土太王」という軍記物的時代劇を見ている。

 

大衆娯楽時代劇かも知れぬが、これがおもしろい。

 

男は、なぜこうした濡れ場の全く無い、つまり色気のない活劇を喜んで見て、感動までするのであろう。

 

 

 

中国語の、つまり香港や台湾でつくられた時代劇は二、三見たが、韓国語の時代劇ははじめてである。というより、韓国のドラマを見るのは、いままで「冬のソナタ」をテレビで5話ほどパラパラと見たことがあるだけである。

 

いや、その主人公の男優がやっている、濡れ場のある時代劇ドラマを1つ見たようだ。

 

 

 

昔、アジア・チャンネルというのがヤフーの動画か、ケーブルテレビかにあって、台湾映画などのいいのをやっていたが、今はそれが、あるのかないのかも知らない。ただ、韓国ものに特化したチャンネルがヤフーにあって、韓国の動画だけが特別扱いだ。

 

 

 

そう言えば、日本語の時代劇、NHKの大河なんとかという甘ったるいのは、今もやっているかと思うが、映画館では久しく見ないようだ。

 

 

 

ふらりと入った映画館で、マンガを元にしたような抜け忍ものを見たのが最後か。

 

 

 

それにしても、インターネットのおかげで、花の年金生活と思っていた、晴耕雨読の境地から遠ざかるばかりである。

 

 

 

 

 

 

 

    829日  パソコン時代の原稿書き

 

 

 

道でこけて(転んで)右手が使えなくなるといっても、骨折するわけでなし、23週間もすれば自然に字が書けるようになっている。パソコンは普段は便利だが、具合が悪くなると、インターネットで手当の方法を調べたりするのにえらく時間がかかる。

 

手書き時代に戻るべしという気がときどきするのだが、どうであろう。

 

ケータイは退職するともう、電話以外には使う必要がなくなって、その電話も、パソコンの不調を業者に相談するときだけ使う、というのも、これまたこっけいである。

 

 

 

下書きは手書きで、清書はパソコンでと、使うところを分けていたのが、いつの間にか下書きも推敲も清書もパソコンでするようになった。

 

手書きとパソコンでは推敲の段階が違う。手書きだといったん書いたものは消さないで、見せ消ちの形にしてどんどん別の案を書き込んでいく。一首ごとに詳細に詳細にと点検しながら追い込んでゆく形になる。

 

パソコンだと、部分的にでも別の案が出ると、保存したりプリントアウトする場合は別として、推敲は元の案を消しながら新しい案に書き換える作業となる。何首かを同時併行的に書き換えてゆくことになりやすく、推敲するごとに飛躍がおきやすい。

 

パソコンの場合も、手書きは使わないのではなく、下書きのプリントアウトしたものに、部分的な手書き推敲をやったりするが、手書きのように、何十回も書き込んだりしにくい。一首のうちの一部分でも変更するたびにプリントアウトしたりすると、時間ならびに経費がかかってしかたがないので、そこはおおよそになりやすい。そして、何首かの推敲原稿をまとめてプリントアウトするので、清書するまでに日時がかかる。

 

怖いのは推敲の過程が違うと、出来上がってくる作品が違ってくるのではないかということである。

 

結果はどちらがいいか分からない。先になると、詩歌推敲用ソフトなど出来るかもしれないが、今のところ、二種類の作品の、どちらの作者になるか、手書き作品かパソコン作品か、選択をせまられているのかも知れない。

 

といっても、人は便利な方を選んでしまうであろうと、自分を見て思ってしまう。

 

   

 

 

 

    8月28日  生活雑報

 

 

 

2ヶ月前に買ったプリンターが動かなくなったので、ヤマダ電機へ持っていく。

 

箱に1年間の保証書を貼っていたので、それがすぐに見つかってよかった。

 

 

 

しかし、直るまで1週間か2週間かかかる。

 

去年、道でこけて右指を突き指したり、

 

おととし、やはり道でこけて右手が使えなくなったり、

 

十数年まえから頚椎症で右手がしびれたりしていて、

 

今では、書くことはすっかりパソコンに頼っているので、

 

1周間といえども、プリンターが使えないと困る。

 

便利は不便なのである。

 

 

 

足を伸ばして須磨へ行く。

 

夏の名残を味わう最後のチャンスだと思ったのであるが、

 

19日の金曜日よりもずっと人出、いや車出が多くてにぎわっていた。

 

さすが8月最後の日曜日である。 

 

 

 

 (818日~27日の日誌は、操作ミスにより一瞬で消滅・怖ろしい。昨日に書いたことがらだけ、無理やりなんとか思い出せる範囲で書いたが、あとはもう、こぼれたミルクのたぐいとなってしまった)

 

 

 

827日 「鱧と水仙」

 

きのう、私も所属している短歌同人誌「鱧と水仙」が届く。

 

ページを開けて、今回はまず「エッセイ」と「季評」に注目した。

 

「エッセイ」欄は自由に書き進めて行く随筆傾向の記事、「季評」欄は短歌に関する最近の話題に関して書いた評論だと一応は言える。それぞれ2名の執筆。

 

「エッセイ」では、小谷陽子氏と近藤かすみ氏が執筆。どちらも面白く、興味深く読めたが、随筆は、読者が気楽に心のおもむくままに読むものであろう。ここで内容を紹介したりすると、ネタバレになってしまって自由な読みをそぐことになりかねないので、記述は省略する。

 

 

 

「季評」は落合けい子氏と香川ヒサ氏。

 

落合氏は、「震災と短歌―『リアス/春』を中心に」。五年が過ぎた東北大震災に関蓮して述べたもの。「震災」については、「当事者以外は歌うべきではない」という論と、「当事者でなくても歌うべき」という異なる二つの見解がある。

 

落合氏は、梶原さい子の歌集『リアス/椿』を元にして、あるいは手がかりにして、この大きな、そして切実な問題を論じている。落合が身近に経験した阪神淡路大震災にも触れながら述べていて、つい話に引きこまれた。

 

この評論を読みながら、再び来るかも知れない日本の戦争のときに「短歌」はどのような働きをなすのであろうかと、私は、今はまだ、ふっとんだ所にあるかもしれない課題にまで、考えを進めかけていた。

 

 

 

香川ヒサ氏は「和歌的なものの回復」。若い世代の人々が歌壇へ次々に登場している。それにより、「読み」や、「作者」と「読者」の関係を巡って今までの歌人たちと新人たちとの間に論争が起きていることに触れる。どちらかの側に立つ訳ではなく、まず客観的に紹介し課題を投げかける。つまり「一首の向うに時間を積んだ一人の人間を見つつ読むのがいいのか、それともその一首のみを読むいわゆるテキスト読みをするのがいいのか」と二つの相対する見解に要約して、読者の思考をエキサイティングなまでに刺激する内容となっている。

 

 大きく言えば、落合氏の論にも、この課題は関わってくるであろう。

 

 この若い世代のテキスト読みが、実は「和歌的なもの」の回復とも思える、という香川氏の示唆が鋭い。

 

 

 

 さて、「鱧と水仙」で私は、次に18名の参加者による短歌作品を読むであろう。

 

 巻頭の「作品三〇首」2名から、一首づつ引用しておく。

 

  いちまいの画布の女に見つめられ遥かな記憶にふつと入り込む   久田泰子

 

  遠い森のこずゑ吹きゆく風みえてちいさな鏡がいつせいに降る   日高堯子

 

 そして、次に、2つの特集「海の歌 山の歌」「穂村弘への手紙」がある。これは12名の同人が執筆していて、それぞれの個性豊かな文章が楽しみである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

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